ダマヌールクレア エピソード

ダマヌールクレアについてファルコの言葉

*2004年4月の地元雑誌のインタビュー記事より

80年代初め、私たちは決して新しいとはいえない自動車で、放置されたこの建物の前を通るたびに、「いつかこの建物をもう一度、蘇らせることができたら」と、夢を描いていました。当時、私たちは、皆が一つになってさまざまな困難に立ち向かう必要がありました。特に、夢を成し遂げるために昼食と夕食とを兼ねる必要があるほど生活は貧窮していたのです。そんな時を過ごしてきた私たちが、今日、ついに夢をなし遂げることができました。この建物を手に入れることは容易ではなかったし、再び使えるように片付け、秩序だてることも容易ではありませんでした。しかし、5月18日には、たとえ、まだ床が濡れていようとも、オープンして、すべての工房に働く者は、彼らの活動をはじめるでしょう。ひとつの夢が実現したのです。私たちは、アドリアーノ・オリベッティの理想を実際に具体化することができるでしょう。旧オリベッツティ工場を引き継ぐことは、コミュニティにとって、簡単なことではなく、経済的な努力を意味しました。テリトリー内に仕事を生み出すプロジェクトへの投資という市民の選択は、団結に基づく経済の実用的な表現として具体的に実現されました。それは、事業活動の古典的モデルを、職人の協同組合というモデルにかえるというものです。私たちにとって、これは大きな一歩だといえますし、一緒にこの谷に生きる人々にも、実際に実りあるものであってほしいと思っています。これは到達点ではなく、さらなるプロジェクトの始まりです。全体にとって役に立つ作業によって、そのプロジェクトが実現することを強く望んでいます。ダマヌール市民が一番に配慮する事のひとつは、テリトリー内で自身の存在を役立つものにすることです。団結という理想に基づいて、多くのプロジェクトを国や地域と一体になって実現しています。赤十字のボランティア活動、森の防火や消防チーム、自衛団、様々な地方自治体の行政の役割にさえも責任を負っています。私たちは常に、真剣に取りくんでいるのです。これまで、私たちは、新しい共同生活が始められてコミュニティの領域を補完する時に、当然のように周囲が抱く偏見や警戒心をのりこえなければなりませんでした。私たちの共同生活は、今日に至るまですでに30年間以上、続いており、他方面からの友情のしるしや評価は日々、大きくなっています。政界の要人も、ダマヌールを訪問しにやってきます。一方、私たちのゲストは、何千人もの外国人です。多くの場合、自分たちの国でプロジェクトを始めるために、インスピレーションを得たいとここにやってきます。しかし、より大きいのは、谷で生きるためにここに来ることを決めた個人や家族です。他の国籍の人々の流入は、国際的な文化を値付かせながら、山へと人生を取戻します。おそらく、これらのすべては、じきにやってくるもっとおもしろそうで新たなプロジェクトを開始する機会になるでしょう・・・